6回目の3.11~インテリアコーディネーターとしてできること。


茨城のインテリアコーディネーター、コンフォートの迫間です。

あの「東日本大震災」から6年が経ちました。

我が家の前の堤防もかさ上げ工事中でしたが、ほぼ完成が近いです。
以前の堤防より、倍の高さになり、海は全く見えなくなりました。

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福島・宮城・岩手ほどの被害がありませんでしたが、
私が住む茨城県の北部も震度6強を観測しました。
そして、沿岸部では、津波も観測され、私の自宅も津波が来ました。
幸い、道路面からはかさ上げをして、建物のレベルが高かったので、
津波が来たのは建物の基礎までで、床下・床上には浸水せず被害が少なく済みました。

と言っても、震災当時は、仕事で茨城の水戸市にいたので、
自宅に帰れたのは、翌朝。
まだ、津波警戒区域になっていて、様子を見に入るのを許可していただきました。
駐車場・庭は津波が持ってきた泥がつもり、
(これが、海水だけでなく下水や生活排水全部を巻き込んでくるので、臭いがスゴイのです)
近くの道路には、家電品やごみや自転車、自動車、他の家の物置などが流されてきていました。

当然、水も電気も止まっていましたから、どうすることも出来ず、
そのままにして、避難していた義理の妹宅にしばらく身を寄せていました。

地震、津波、その後の原発事故・・・

自分の力では、どうすることもできない境遇に立たされている方がたくさんいます。
現在の避難者数は約12万人。(復興庁のHPより)

http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/hinanshasuu.html

そのうち3万7千人以上が、福島県民です。

ここ最近、「震災いじめ」として、
福島からの避難者のお子さんが学校でいじめられていた事件が取り上げられています。

私の夫の父の故郷は、福島県双葉町です。
帰宅困難地域として、そこには戻れなくなっています。
居住していた兄妹・親戚はそれぞれに避難し、仮設住宅にいたり民間アパートに住んだりしています。

自分の故郷に、戻れなくなってしまった、という絶望感。
父や親戚の思いを想像すると、心が痛くなります。

震災後、「インテリアコーディネーター」として、何ができるのか悩んだ時期がありました。

「住みやすい・快適な住宅」をコーディネートしてご提案する仕事ですが、
震災後は、まず、生活することすら危うい時期がありました。

「快適」以前に「安全・安心」が最優先。
雨風、寒さ暑さがしのげ、寝食が出来る場所・・・これがまず求められていました。

実際、余震が落ち着いてから、1年~2年後くらいに多かった依頼は、室内の壁の張り替え。
下地の石膏ボードから割れ、壁紙が破れ、あまりに見苦しい状況に気づいて直したいと思えたのだと思います。
それまでは、壁紙が剥がれてても、住めれば十分という感覚だったと思います。

ただ、仮設住宅でも、好きな色を使ったカーテンだったり、ちょっとした壁飾りだったり、
少しの「癒し」を持つだけで、生活に潤いが持てるものだと思います。
「香り」の重要性も感じました。

人は、「悪臭」と感じる空間では、自然と呼吸が浅くなるそうです。
浅い呼吸は、酸素不足になり、イライラしたり代謝が悪くなったりするのです。

「香り」については、また、じっくり記事を書いてみたいと思います。

6回目の3.11を迎え、まだ震災の被害が終わっていないことを実感しつつ
また来るかもしれない天災に備える必要があるとひしひしと感じています。

改めて、6年前の震災で、またその後の震災関連で、亡くなられた被災者の皆様のご冥福をお祈りいたします。

 

 

2017-03-11 | Posted in つぶやきNo Comments » 

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